僕の頭の中の悪霊~作家志望の雑記ブログ~

小説家になりたい人の書評メインのブログ。小説の創作論や、漫画アニメのサブカル、箱根駅伝のことなども語ります。

【箱根駅伝】花澤賢人選手が10区にエントリー!【順天堂大学】

どうも管理人です。

僕は今回の箱根駅伝で個人的に応援している選手がいます。

本当は同じ箱根駅伝を目指していた身から言わせれば、持ちタイム云々ではなくすべての選手が血のにじむような努力をしてきているのは知っているので個人だけを切り取って応援はあまりしたくないのですが。

 

その選手は順天堂大学の花澤賢人選手です。

 

▼花澤選手の高校時代

 花澤選手って俗にいうエリートランナーなんです。高校時代にトップクラスの証、5000メートル13分台もだしていますし、全国高校駅伝でも八千代松蔭高校のエースとして活躍していました。

後輩に羽生選手っていうこれまた怪物がいたため、ちょっと印象は薄れていましたが。

ちなみに最近は5000メートル13分台ってごろごろいるんですが、実業団に進んだ選手ですら引退までに出すことができない人もいる、そんなタイムなんですよ。

普通の高校生だったら14分台で走ってれば結構早いくらいです。

こんな花澤選手ですから、順天堂大学に進学後も大活躍すること間違いなし、そう思ってました。

 

▼大学入学後。

持ちタイムは既に順天堂大学内でもトップクラス。1年生の時の全日本大学駅伝は序盤の重要区間でたしか区間12番くらいと振るいませんでしたが、1年生から重要区間をまかされる将来のエース候補として目されていました。

 

そして箱根駅伝は期待を込めて1区エントリー。しかし、この時急な体調不良で出走はできませんでした。

花澤選手にとって本当に辛いのはこのあとでした。神様は花澤選手に大きな試練を与えたのです。

 

▼強直性脊椎炎

 強直性脊椎炎は、頸部~背部~腰殿部、時に手足の関節の痛みやこわばりで始まり、これらの部位が次第に動かなくなる慢性の病気です。

稀に、脊椎や関節の骨性強直(全く動かなくなる)や変形(主に前傾姿勢)を生じる重症例もみられます。

ほとんどが10~20代で発症し、女性に比べて男性が3~5倍多く発症します。

医学サイトより転載

花澤選手はこの強直性脊椎炎で、走るどころか、まともに歩くことすら難しい体になってしまったのです。

僕もかつて病気で走ることをやめたランナーです(過去記事に書いたので内容は省略します)。

経験からいうと、まず、病気が物理的に走ることへの障害になることは間違いないです。

でもそれ以上にランナーにとって大事なのは心です。

ランナーは、古臭い言い方になってしまうかもしれませんが、体だけじゃなくて心で走っています。

特に箱根駅伝なんていう大きな大会では、今までこの時のために頑張ってきた、だからいける!という強い気持ちを動力源として走っています。

 

だからランナーって気持ちが揺らぐと意外ともろいんです。僕の経験からいうと、病気になったランナーは自分の中で言い訳をつくってしまいます。だって病気だから仕方ないでしょ?っていう逃げ道です。

こうなったランナーはもう終わりです。

長距離走は辛くなってからが勝負。辛くなってからどれだけ走れるかが勝負。

逃げ道ができたランナーはそれができなくなります。だから遅くなります。そして腐ります。

僕はそれで走ることを諦めました。

自分で逃げ道をつくっていることが原因だということは自覚していました。

けれど僕は心の根っこの部分に芽生えたその弱い心をとりはらうことができなかった。

だから諦めたというより、もうランナーとして走る資格が僕にはなくなったんです。

 

話を花澤選手に戻します。

この経験をした僕は、きっと花澤選手も腐っていくだろうと思っていました。

まして花澤選手は高校時代エリートです。今の自分とのギャップがより強く感じられ、それによって潰れていくだろう、そんなどこか冷めた目で見ていました。

現に僕はたったひとつのケガ、ほんの数回の敗北、たったそれだけで駄目になっていったランナーを何人も知っています。

 

▼しかし花澤選手は違った!?

僕の予想通り、花澤選手はそれから大舞台から姿を消しました。

でも彼は終わっていませんでした。

今回の箱根駅伝で10区にエントリーされたのです。

まだ当日変更になる可能性はありますが、10区という配置はおそらく走るのではないでしょうか?

監督が苦しんできた花澤に最後はゴールテープを切らせてあげたい。

それが伝わってくる配置です。

 

聞けば花澤選手は病気の発覚後も、前向きな気持ちでトレーニングを続け、今日に至っているようです。当然、病気の影響もあり、全盛期ほどではないにしても、戻ってきたんです。大学駅伝の舞台へ!

何回も言いますが大抵の選手は腐っていきます。ですが花澤選手は腐らずに頑張り続けた。

これがどれだけ大変なことか、筆舌に尽くしがたい苦労が花澤選手にあったのは間違いありません。

挫折して落ち込むのは簡単ですが、挫折から這い上がるのは並大抵のことではありません。しかもそれが、まだ精神的に幼い学生時代ならなおさらです。

それを乗り越えての出走は、多くの人にがんばろう!という気持ちを与えてくれると思います。

 

▼最後に。

箱根駅伝って選手ひとりひとりに、色んな思いがあります。

花澤選手を見ると、僕もあの時、もっと頑張れたんじゃないか?と思いますが、当時の僕はどう転んでも走ることを諦めていたと思います。

それは色んな面で未熟で、幼かったからです。

だからこそ、自分ができなかったことを成し遂げようとしている花澤選手のことを尊敬しているし、また応援したいと思っています。

 

みなさんも誰かひとりのランナーに自分を重ね合わせてみると、また違った視点で箱根駅伝を見れるかもしれません。