「平凡な日常」以外に価値のあることなんてあるんだろうか。庄野潤三さんの文学がわかった気がする。
どうも管理人です。
もうすっかり春で、今日なんてぽかぽかしていて気持ちがよかったですね。
花粉症だけが悩みの種ですが、昼間に散歩しているだけで何だか楽しくなるような陽気でした。
▼平凡な日常。誰かと戦うことのない日常。
そうやって、ぽかぽか陽気の中、外を歩いていると、思うんですよね。
今まで会社にいた時は何だか、色んな人に対してイライラしていたなぁって。
あいつはむかつく、あいつは使えない、何であんな奴が評価されるんだ、そんな気持ちが常に渦巻いていたし、とにかく常に何かと戦っているような感じでした。
仕事自体はそこまで嫌というわけではなかったんですが、とにかく周りの人が嫌いでした。
そんな感じで過ごしていたので、こうやって仕事から離れて、真昼間から散歩をしていると、何だか自分の心が浄化されていくのを感じます。
僕は仕事に対してかなり一生懸命になってしまうタイプで、一生懸命やっていない人を見るととにかくイライラしてしまう性格です。
会社員なんだから仕事を一生懸命やることにこそすべての価値があると思っていて、今でも当然そうだとは思っています。
けれど、それでイライラするくらいならそんな風に「何かと戦い続ける」ことに何て何も価値がないんじゃないかな、とふと思いました。
そうやって戦い続ける日常よりも、今日みたいに誰に対しても悪意を持たずにただただ、晴れた春の陽気を楽しむような日常にこそすべての価値があるんじゃないかと、感じたんです。
▼庄野潤三さんの文学がわかった気がする。
小説家で庄野潤三さんっていう作家がいるんですが、この人の本はとにかく「何も起きない日常」をただただ書き続けます。
「静物」とか「夕べの雲」あたりが有名ですね。
もうお亡くなりになっているんですが、晩年はその特徴に拍車がかかって、本当に自分の身の周りに起きた平凡な日常を延々と記述していくスタイルの小説を何冊も書いていました。
僕はなんじゃこりゃって感じで全然その良さがわからなかったんですよ。
何か面白いストーリーがあるわけでもなく、そして作家自体が何かと戦っているようなそんな作品でもない。
そこにあるのは人生論とかそういうものも何もないただただひたすら、「普通の日常」。
こんなの文学って言えないだろーと内心僕は思っていたわけなんですが、今日の散歩の時、ふと、ああ庄野さんの文学っていうのはこういうことなんだなぁっていうのが漠然とわかった気がしました。
▼平凡な日常にすべての価値がある。
庄野さんはきっとこんな風に、誰に対してもむかつかず、いわゆる不純物が一切ない、けれど平凡で言ってしまえば刺激のない日常にこそ価値があるんだっていう風に考えていたんだろうなぁと思いました。
だからあんな風に日常をとらえ続けていたんでしょうね。もっと言えば日常のとらえ方が、まるで宝石を扱うかのように丁寧です。
よく考えたら日常って、日本人だから全然大切に思いませんが、戦争とかある国だったら日常なんていうものは、本当に宝石みたいに価値のあるもんなんですよね。
庄野さんは戦争を経験している世代だから、日常について、当たり前のようにあるように見える日常でも、本当はいつなくなるかもわからない、すごく大切なものなんだぞ、と考えていたのかもしれません。
今だってもしかしたら北朝鮮のミサイルが突然降ってきて、何の前触れもなく日常は消え去ってしまうかもしれません。それくらい日常は、実は壊れやすいものなんですよね。
▼まとめ
だらだらとまたおじん臭いことを書いてしまいましたが、何となく今日、新たな人生のとらえ方というか、そういうものが見えて来たような気がします。
ずっと同じ会社で働いていたらきっと気づけませんでした。
次の会社に勤めだしてもこの気持ちを失わないようにしたいです。
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