僕の頭の中の悪霊~作家志望の雑記ブログ~

小説家になりたい人の書評メインのブログ。小説の創作論や、漫画アニメのサブカル、箱根駅伝のことなども語ります。

ブログと小説は一緒なんだと思った。深刻な人生論を書きすぎても面白くない。

どうも管理人です。

今日はとあるブロガーさんのブログを読んでいて個人的に感じたことを書いてみたいと思います。

あくまで個人的に感じたことなので、ひっかかることがあっても気にしないでください。

 

▼考えさせられることばかり書いていてもつまらない。

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とあるブロガーさんが、まぁその方の人間力もあってのことなんですが、非常に考えさせられる記事を書いていたんですね。いわゆる人生論に近いような感じ。

おーこれは面白いやって定期的にその方のブログを覗きに行っていたりなんかしていたんですが、その方はずーっとそういう考えさせられる記事をひたすら書いている。違う言い方をすればどこか深刻な記事をずっと書いているんですね。

最初はそんな風なブログを面白いなーと楽しく読ませていただいていたんですが、何か途中で飽きてくる、という現象が起きました。

 

何て言えばいいかわからないのですが、たとえば知り合いが「死にたい……」とか言い出したら、「おいおい大丈夫か?」って超心配になるじゃないですか?

悩みあるのか? なんでも言ってくれ! 今度どっかで飲もうか! とかそんな親身なノリに誰しもなると思うんですよね。

でもその知り合いが毎日のように「死にたい……」って言っていたらどうでしょうか。

最初はそれこそ心配すると思うんですが、だんだんめんどくさくなってきますよね?

とてもじゃないけど、まともに相手をしたくなくなる。

たとえるならそんな状態です(伝わるかな)。

 

▼深刻なことはあくまで自分の中だけでの話。

深刻な話って、自分では深刻だと思っていても、他人から見れば一枚のフィルターがかかるっていうか、結構どうでもいい話なんですよね。

すっごい極論を言ってしまえば、とある人の大切な人が亡くなったとしても、関係していない人にとっては気の毒とは思えど、当人ばりに深刻になんてなれないんです。

多少影響は受けるかもしれませんが、ずっとそんな当人の立場になれない話を延々と聞かされても困っちゃいます。

 

こう思うと深刻な話って愚痴に近いんですよね。

ずーっと延々に愚痴を言っている人って単純に嫌じゃないですか?

深刻な人生論とか愚痴ってあくまでその人の中だけでの話なんでずっと聞かされる方としては「また言ってるよ……」っていう風になってしまって、余計に深刻さに同調できないんです。

 

で、さっきに話になるんですが、僕自身、結構病んでた時期があって毎日のように「死にたい死にたい」って言ってたんですよ。

僕自身はだいぶ真剣でそんな自分に酔ってすらいたんですが、ある日、友人の一人に「じゃあ死ねよ」って冷たく言われたんです。

僕はその時、ああそんな風に思われてたんだ、と目が覚めるような思いでした。

友人は我慢できなくなってはっきり言ってくれたんだと思うんですが、今では気づかせてくれたことに感謝しています。

 

▼太宰治だって実はそこまで深刻ではない。

そういえば小説も深刻なことばかり書いているものは評価されません。

なぜなら読んでいても単純に面白くないし、終始深刻な内容だと、一回一回の深刻度が薄まってしまって心に響かないからです。

だから名だたる文豪の作品も必ずユーモア的な要素や、少し息のつける場面がありますよね。ようするにメリハリってやつです。

 

太宰治とか何となく世間的に深刻で暗い作家っていう印象がありますがそれは大きな間違い。

彼ほどユーモアをちりばめている作家はいないくらいだし、有名な「人間失格」も実際は結構ユーモアに富んだ作品です。

深刻なことばかり書いていると逆に子供っぽい作品になってしまいますからね。

 

僕も小説を書く人間ですが、最初は小説にも深刻なことばかり書いていました。その深刻さがむしろ価値であると思ってたくらいです。

でもそれは違ってたんですね、ある程度自分を客観的に見えるようになってから、そういう内容は一人よがりであることが多いことに気がつきました。

今ではできるだけ力を抜いたような感じで書くこと意識しています。

 

▼まとめ

深刻なことを書いていると自分に酔っちゃって、なんかすごい価値のあること書いている! っていう気分になってしまうのですが、何人の人がそれを読み続けてくれるのだろうか。っていうのが自分の考えです。

 

人生論はほどほどに、メリハリをつけて、力を抜いて書いていきたいですね。