僕の頭の中の悪霊~作家志望の雑記ブログ~

小説家になりたい人の書評メインのブログ。小説の創作論や、漫画アニメのサブカル、箱根駅伝のことなども語ります。

文学作品を読むべきだと思うその理由。実用書だけを読んでいては「自分」はなにも変わらない。

どうも管理人です。

僕の知っている人に「小説なんて読んでもためになんてならないでしょ?」と言って実用書をたくさん読んでいる人がいます。

その意見、たしかに一理あるんですが、僕の思う文学作品を読むべきだ、という理由を書いていきたいと思います。

 

▼文学はたしかに意味がない。


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まず第一前提として言っておくと文学なんて読んでもためにならない、という意見はある程度合っていると思います。

これに関しては哲学だってそうです。

内面世界で格闘するだけでは、本当に生きているとは言えませんし、意味なんてありませんからね。

そういう意味では実用書の方がその名前の通りよっぽど実用的で、現実的な行動に役に立つ内容が書いてあります。

じゃあやっぱり文学作品なんて読まないで、実用書をその分読んだ方がいいのでは!?と思われるでしょうが、僕はそれにはちょっとストップ、と言いたくなります。

 

▼なぜ文学を読むのか。

たしかに文学作品って仮にある程度歴史に残っているとしても、大体が読む必要のない本だらけです。

漫画を読んでいた方がよっぽど時間の有効活用だと思われるものも中にはあります。

 

それでも良い文学作品っていうのはその人の内面を変える力を持っています。もっと違う言い方をすれば、心の中にある氷の塊みたいなものをぶち壊す力があるんです。

これは良い文学作品を読んだことのある人なら当然経験したことが誰しもあると思います。

言葉で言い表すのは難しいですが、強制的に目を開かせられるというか、とにかく自分の人生観を変える力があるんです。

ここで言う良い文学作品っていうのは、世間的に評価の高い文学作品っていうわけではなくて、その人にぴったり合う文学作品、という意味です。

自分にぴったりの一冊を見つけることができればそれで十分だと思いますね。

 

▼目が開いていなければ何を見ても何も見えない。

強制的に目を開かせられる、という風に言いました。これについてちょっと補足を。

よく海外とかに行くと良い経験になるって言ったりするじゃないですか?

僕はそれは嘘っぱちだと思っていて、結局僕たちの見えている世界は僕たちが目で見て作り出している世界でしかありません。

結局何を見て、何を経験したって自分というフィルターを通して見ている世界にすぎないので、本当の意味で自分を変えるほどの「良い経験」は絶対にできないのです。

実用書を読むという行為に関しても、同じだと思っていて、いくら読んでも自分の枠組みの中でしか本の内容を読むことができない。

文学作品っていうのは、そんな自分の枠組みをぶっ壊すための本なんです。

文学作品を読んだからといって、これっていう知識は得られないし、特別な進歩も得られないと思います。

けれど当然ですが、目が開いていなければ何を見ても何も見ることができない。 

他の人には見えない価値のある「何か」を見るために文学作品はあるのです。

 

▼まとめ

近年、文学はどんどん衰退していっています。

その原因は枠組みをぶっ壊せる本が存在していないからです。

本来、文学作品を読んで得られる経験は尊いもの。

多く読む必要はありませんが、自分にぴったりの一冊に出会うことができれば、人生は豊かになると思います。