箱根駅伝を目指して練習していた時のことを思い出す
どうも管理人です。
かつて箱根駅伝を目指して走っていた僕ですが、当時のことを振り返ってみたいと思います。
ちなみに大学名、細かい自己ベストタイムは伏せます。ハーフマラソン1時間6分台の箱根を走るうえでは実力が足りなかったくらい、とだけ言っておきます。
▼練習はみんな嫌い。
思い返すと高校大学とチームメイト全員、練習が嫌いだった気がします。
ポイント練習(週2回くらいある辛い練習)の日なんか全員なんだか黙りこんでピリピリしていました。練習が終わるとみんなにこやかにダウン(最後に体をほぐすために軽いジョギングをする)するんですけどね笑
で僕が大学に入学したときに驚いたのは練習の辛さがあまりにも増したこと笑
たとえば1000メートルのインターバルを5本とかやりますよね?高校の時はインターバルの間のジョグは本当に遅かったのですが、大学ではキロ3分20秒相当くらいのペースで繋ぎます。
当たり前っちゃ当たり前なのかもしれませんが、最初にやったときはほんとびっくりしましたね。
うちの大学はたぶんそれほど練習がきつくなかった部類なのですが、僕らの噂では駒澤大学と中央学院大学はめっちゃ練習がきつい。と聞いていたので話だけでもぞっとする思いでした。
▼とにかく距離をふむ、でもそれには弊害が。
20キロメインの練習になってくるので当然距離を多くふむトレーニングが多くなってきます。
高校の時のメインは誰しも基本5000メートルなので、距離というよりかはスピードメインの練習になるんですね。
僕の大学は3分40~30くらいで距離をふむ練習が多かった気がしますね。
で当然距離にたいしての苦手意識がなくなってくるのですが、今度はその分スピードがなくなってきます。
なんと1キロ3分フラットのスピードがめっちゃ早く感じるようになってしまうんです(注-市民ランナーの方には3分フラットは結構早いペースです)。
だから5000メートルをその体のまま走ると平気で自己ベストより1分以上遅くなったりする笑
個人的にはスピードとスタミナを融合させるのがなかなかできなくて、最初は走れば走るほど遅くなるという現象に陥っていました。
▼もうひとつの恐怖、マネージャーになるということ
高校の時なかった恐怖として結果がでなければマネージャーにさせられてしまうという点。
当然裏方の仕事は大事だし、尊いものですが、やはり最初はみんな駅伝を選手として走りたいと思ってきています。
まぁ、マネージャーになってもいいけど?みたいな選手は基本的にいないと思ってもらっていいです。
各大学のマネージャーは基本的に元選手です。
中には最初からマネージャーとして入った学生もいますが、割合はかなり少ないです。
だからよくドキュメンタリーとかで、マネージャーの仕事を頑張っている学生がいますが、あれはそんなきれいごとではなく、筆舌に尽くしがたい悔しさを自分の中でうまく消化して頑張っているある意味選手以上に辛い思いをしている学生です。
選手はもちろん、マネージャーのことも是非応援してあげてください。
▼根性は社会に通じるものを養える
長距離走の練習ってまじできついんですよ。
正直他のスポーツの練習見てるとらくそーだなって思ってました。
僕は社会に出て当時の練習よりきついことに出会ったことがありません。それは身体的、精神的両方の側面から見ての見解です。
だから、根性だけは社会でもトップクラスの人材になれると思います。
けれど、青学の原監督もいっていましたが、競技の特性上自分の内にこもりがちなので、唯一そこが長距離選手の欠点でしょうか。
なので原監督の選手の自主性や主張性を育てる教育方針は正しいと思います。
ちなみに、ほんとすごいな、と思う選手は中央大学の船津。予選会で落ちたときの叫びは、ちょっと大学一年生とは思えないくらいしっかりとしたものでした。あんなしっかりした大学一年生いないぞ、まじで。
彼は今の心を忘れなければ今後なにをしても成功するでしょう。
▼まとめ
長距離走の練習はまじできつかったですが、あれもあっての今の自分がいると思います。
やっぱりスポーツって素晴らしいですね。
学生時代遊びまくる生活に未練がないわけではないですが、遊ばなかったぶん、他人より大事な経験ができたと思っています。