僕の頭の中の悪霊~作家志望の雑記ブログ~

小説家になりたい人の書評メインのブログ。小説の創作論や、漫画アニメのサブカル、箱根駅伝のことなども語ります。

大人になるとゲームが面白くなくなるけど何でだろう。夢を語ることのできなくなる大人。

どうも管理人です。

僕は小学生とか中学生の頃はゲームが大好きで、学校が休みの日なんかは本当に一日中やっていても飽きないくらいでした。

でも今はそんな風に熱中することができないです。

なんでなんでしょうね。

 

▼現実が大きくなる。

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僕が実感しているのは、やっぱり「現実が大きくなってくる」ということです。

大人になるにつれて、どんどん現実方面での出来事が押し寄せてくるので、気持ちがそっち側に向いてしまうんです。

ゲームっていわゆる非現実を楽しむ行為だったりするもんなんで、現実の影響下があまりに大きい環境下だと、非現実を楽しむ余裕なんてなくなるんですよね。

僕は空想とかするのが今でも大好きなんですが、子供の頃に比べて「空想力」みたいなものが明らかに薄れて来たのを感じます。

小学校、中学校を卒業して、高校、大学で青春を謳歌して社会人になる……、この現実の大きな荒波に「空想」は打ち勝つことはできないんです。

僕は自分の「空想力」がなくなってきたと実感した年齢あたりから、ほとんどゲームへの興味がなくなってしまいました。

現実の方が普通に生きている人にとっては、非常に大きなものなんですね。

 

▼変な話初体験をしてから大きく変わった。

現実と言えば、変な話、僕は初体験をすませてから、かなり空想力が落ちました。

僕は本気で自分の空想の人物に恋をするくらい、空想に思い入れのある人間なのですが、初体験後はそれ以前よりも鮮明に空想することができなくなってしまいました。

だからよく30歳過ぎても童貞の人は魔法使いになれるとか言いますけど、そういう意味では本当に魔法使いになれると思います。経験していない人に比べて、現実に負けないので、空想力が半端ないでしょう。

 

つまりは、2次元の女の子はしょせん、3次元に勝つことはできないんです。

僕が未だに自分の中の空想に恋をしたり、2次元キャラクターのことが好きなのも、本当に満足した結婚をしていないからかもしれません。

とにかく、こうやって現実は僕たちの中の非現実の領域を蝕んでいって、非現実の世界を楽しむ力をなくしていくんでしょう。

イマジナリーフレンドっていう小さい頃に思い描く空想の友達は現実の友達の存在には肩身をせまくして、いずれ消えるしかないんです。

空想を楽しめなくなっては、ゲームも楽しむことができなくなっていきますよね。

 

▼空想を楽しむ力は、夢を思い描く力でもあると思う。

僕たち大人はゲームとかそういう非現実を楽しめなくなると同時に、夢を思い描く能力もなくなっていっていると思います。

子供の頃は本当に自分が何にでもなれると思っていたし、色んなことがとにかく楽しかった。

でも大人になると夢を思い描くこと自体、なんだか恥ずかしい感じになっていくし、どうせ無理だと、自分で勝手に諦めるようになっていきます。

非現実の世界で生きることができなくなるから、現実の世界に自分を当てこんで、その世界の中でだけの存在に自分で勝手になってしまう。

それはそれで大人になるっていうことで、良い事でもあるのかもしれませんが、子供の頃のように非現実の世界を生きていた時の方が楽しかったことを考えると、今の大人になった自分が本当に正しいのかどうかわからなくなってきます。

現実を知る代わりに、色々失ったことだけは確かです。

 

▼現実を知らない場合。

 

akuryou.hatenablog.com

 現実から目を背け、自分の空想の世界だけに生きて来た人物の代表としてあげられるのがヘンリーダーガーでしょうね。

以前の記事にも取り上げたことがありますが、ほとんど人と関わらずに自分の中に持っている世界を誰に読ませることなく、延々と書き続けていた孤独な作家です。

でも、周囲から見れば孤独だったかもしれないヘンリーダーガーも、彼自身は自分のことをそこまで孤独だとは思っていなかったのではないでしょうか?

彼の小説が仮に、孤独な自分を慰めるための、人間の防衛本能的な部分から生み出された王国だったとしても、彼自身は孤独だとは思わなかったはずです。

きっと子供のように非現実の世界を楽しみ、現実を見なくてすむまま、死んでいったに違いありません。彼は最後まで空想の世界で生きる自分を夢見て、最後まで「ゲーム」を楽しんで生きていたんです。

 

▼まとめ

ゲームを楽しめなくなるということは、同時に夢を思い描くことができなくなることです。

大人になった、と言えるのかもしれませんが、色々なものを失っているのも確かです。

現実ばかり見ていると、人生が時につまらなく感じますが、もう僕たちには非現実の世界を見ることのできる目はなくなってしまっているのかもしれません。