楽しい人生ってなんなんだろう?自己実現の達成。
どうも管理人です。
僕くらいの年頃の人は結構考える人多いと思います。
「楽しい人生」ってなんなんだろう?って。
今回はそのことについて書いてみたいと思います。
▼まず第一前提にお金持ちイコール幸せではない。
まず僕はお金持ちになったからと言って「楽しい人生」が過ごせるとは思いません。
ちなみにここで言うお金持ちっていうのは、一生生活に困らないくらいのお金持ちではありません。年収1000万とかサラリーマンの平均年収よりも多く賃金をもらっているという範囲での話です。
一生遊べるレベルだったら、そりゃあ、楽しいですよ。でもそれって現実的ではないから、現実的なレベルでの話をします。
僕のうちは共働きなので、合わせると年収1000万を越えるという意味では、まぁまぁ金銭的に潤っています。
ただ、別に買いたいものを好きなだけ買えるわけではないし、そのお金で何かができるわけではありません。
過度の節約をしなくてもすむくらいなもので、将来の不安は当然あるし、生活が特別豊かでもないし、もちろん楽しくもない。
中途半端にお金を持っていても、あまり意味はないと思うんです。
▼やはり自己実現なのだと思う。
僕はやはり楽しい人生って自己実現だと思います。
自己実現って言葉は軽いけど、その人それぞれによってハードルの高さが変わってきます。
たとえば家族と不自由なく暮らしたい、という人だったら上記の世帯収入1000万とかがあれば自己実現が可能なのかもしれません。
でもその「家族」が、本当に好きな人と結婚したい!とかの要素が入ってくるとハードルが上がってきます。
僕の場合は「小説家になりたい」です。この自己実現もまぁまぁハードルが高いと思います。
こういった自己実現を達成できた人は当たり前だけど「楽しい人生だ」と心から思えるでしょう。
だってなりたい自分になれているんだから。
哲学者のサルトルが人間は何にでもなれる可能性があるから悩むんだ、みたいなことを言っています。
もうほんとその通りで、生まれながらにしてあなたは八百屋だ!とか決まっていれば「悩む」っていう要素がなくなりますよね。
インドのカースト制は究極の差別でありながら意外と幸せなのかもしれません。なりたい自分もくそもありませんから。
なりたい自分になれる可能性があるのになれない自分がいる。だからずっとなりたい自分が頭の中でぐるぐるしている。
こんなんでは人生が楽しいわけがありません。
▼だから人は諦められるようになっている。
だこらこそ人は夢を諦めるようになっているんでしょう。
諦められなかったらおそらく精神が崩壊してしまうから、なりたい自分のハードルを自らどんどんどんどん下げていく。
最終的には「なんだかんだ楽しい人生だったな」と自然に思えるような仕組みになっているんでしょう。
諦めの境地みたいな話になっていますが、だからこそ僕は今をやりたいように生きるべきだと思うんです。
だって最終的にどう転んでも楽しい人生だった、と思えるようになっているんだから。
最終的なゴールは決まっているのに、今を楽しもうとしないのは明らかに損です。
だから僕たちのできるせめてもの抵抗は後先は深く考えずに楽しく生きる方向に進もうとする、ということだと思います。
▼まとめ
楽しい人生の実現、つまり自己実現の達成は難しいことです。
けれど難しいからと言って最初から諦めて今を楽しまないのはただの損だと思います。
人生はなるようになる、逆に言えばなるようにしかならない。
軽い言葉ですがここにすべてが集約されている気がします。