僕の頭の中の悪霊~作家志望の雑記ブログ~

小説家になりたい人の書評メインのブログ。小説の創作論や、漫画アニメのサブカル、箱根駅伝のことなども語ります。

「今を大事に生きるべき」僕がそう思う理由。俳優大杉漣さんの急死と僕の兄の癌のことについて。

どうも管理人です。

先日俳優の大杉漣さんが急死したニュースを聞いた時は誰もがびっくりしたと思います。

あんなに普通に生きていた人がある日突然死ぬという事実。

ちょっとそのことについて僕の経験談も交えて書きたいと思います。

 

▼僕の兄も急に癌になった。

f:id:akuryou:20180225124950j:plain

ある日突然、今まで元気にしていた人が死に至る。僕はこのことについて過去に実際に経験しています。いや、正確に言うと死んではいないんですけどね。

今からもう10年以上も前の話で、僕がまだ高校二年生の時のことです。

ある日、家に帰るといつもなら家に母がいるはずなのにいない(僕は陸上部で毎日部活漬けだったので帰るのは夜の8時くらいでこの時間には絶対に誰かしらいました)。

なんでだろ?と家の電話の留守番電話が入っていました。それは病院から家にかけてきていた母からでした。

内容は僕の兄が癌であることがわかって、緊急入院・手術になるという話。

母の涙声で入っていたその留守番電話のメッセージに僕はショックを受けました。

だって、僕の兄は歳が3つしか離れていなくてまだまだ若いし、感覚的に当時の僕は癌という病気はもう少し年齢を重ねた人に起きる病気だと思っていたからです。

 

▼僕は僕の兄が嫌いだった。その兄が突然死ぬかもしれない。

僕は当時、兄のことが嫌いでした。仲が悪かったんですね、単純に。

男兄弟ならよくある話だと思います。

だから正直、最初にそのことを聞いた時は兄が癌だろうがなんだろうが知ったこっちゃない、という気持ちもありました。

死んだって知ったこっちゃない、ひどい言い方をすればそういう風にすら思っていました。

けど実際に病院で兄が色々な点滴とかつけられた状態でベッドで寝ている姿を見た時は、そんな僕でも涙が出ましたね。

なんで涙が出たのか、それは身内が死ぬかもしれないっていう悲しさなのか、それとも、現実的に死に直面している人間の姿を見て怖くなったのか、どちらなのかそれとも両方だったのかはわかりませんが、とにかく僕は涙が止まりませんでした。

 

その後、両親とともに医者から兄の手術の説明を受けました。人体模型を使いながら、ここをこうして、ここの腫瘍を取り除く、などの説明です。

その時、手術の成功確率は50パーセントであると説明されました。

ある日突然、進行していた癌に倒れ、そのまま50パーセントの確率で死んでしまうかもしれない、しかも年齢なんて関係なくて、色んな意味で「ある日突然」。

この説明に僕は驚きを通りこしてしまって、「こんなに簡単に人って死ぬんだ」とどこか達観した目線でこの事実を見ていました。

 

▼兄は命こそ助かったが。

結論から言うと兄の手術は成功し、50パーセントの確率だった生存の道を進むことができました。

しかし兄はそれによる後遺症などに悩まされ、10年以上経った今でもまともに働いていないし、精神的にもあの時のまま成長が止まってしまっています。

よくテレビのドキュメンタリーで大きな病気を乗り越えて今を頑張っている、という話を聞く時がありますが、そんな風に頑張れる人はやはり少数なのだと思います。

兄は精神的に病気に負けてしまって、病気が治った今でも立ち直れずにいます。おそらくですが、こうなってしまう人の方が世の中多いのではないでしょうか。

兄は命こそ助かりましたが、もしかしたら死んでしまった方が楽だったのかもしれません。

 

▼大杉漣さんのニュースを見てあらためて考えてしまった。

大杉漣さんの急死のニュースを見てあらためて兄のことについても考えてしまいました。兄の事だけではなく、生きていくということについてもです。

僕たちは将来の不安や過去の失敗のことばかり考えて、本当に大事な「今この時」について考えている人は少ないと思います。

過去は当然もう過ぎてしまっていることだし、未来は本当に来るかどうかなんてわからないんです。大杉漣さんや僕の兄のように、ある日突然、何の前触れもなく(少なくとも人間が感知できるレベル内では)未来についてはなくなる可能性が常に付きまとっているのです。

来もしない未来に怯えて、「今この時」をないがしろにすることは、愚かだと思います。

僕は兄の姿を見ているからなおさらリアルにそう感じるのでしょう。

未来に怯えて生きることを考えるのではなく、「今この時」を一生懸命生きて未来を切り開く姿勢の方が大事なのではないか、と僕は思います。

大杉漣さんは生前、下積み時代も長かった苦労人で、人格者であったと聞きます。

そんな人でも突然死んでしまうのが世界の事実です。どう生きていたかなんて関係なくある日突然すべてを奪われるのです。

だから反対に言えば、どう生きていたかの過去も、どうなっていくかの未来も、どちらもすべて関係ないのであれば、必然的に僕たちは「今」だけを見据えて生きていくしか道がないのでしょう。

 

▼最後に

でもそう簡単じゃないんですよね、「今」だけを見て生きるって。

「今」だけを生きていくには、この社会はあまりにもしがらみが多すぎます。

もしかしたら今の現代人の人生は過去も未来も「今」すらも何もないのかもしれませんね。