僕の頭の中の悪霊~作家志望の雑記ブログ~

小説家になりたい人の書評メインのブログ。小説の創作論や、漫画アニメのサブカル、箱根駅伝のことなども語ります。

僕は「努力」って言葉は嫌いで「執念」っていう言葉が好き。もがき続けることこそ人生。

どうも管理人です。

よくありませんか?あなたの好きな言葉は?みたいな感じの質問。

「努力」とか「克己」とかそんな感じの言葉をチョイスする人が多いと思います。

そんな中で僕は「執念」という言葉が好きです。

 

▼「努力」ではなくて「執念」


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反対に僕は「努力」っていう言葉があまり好きじゃないかもしれません。

なんでって、なんとなく努力って言葉は綺麗すぎる感じがするから。

当然僕は何かに対して頑張っている人は好きだし、それはすごく尊いことだと思っています。

けど極限まで頑張ることを果たして「努力」なんていうちょっと綺麗すぎる言葉で表していいのだろうか?と考えてしまいます。

極限に頑張る人の精神って「努力」じゃなくて「執念」なのではないでしょうか?

 

▼「執念」があるからこそ人は頑張る。

執念という言葉の意味を調べると以下になります。

執着して離れない心。物事にとらわれた心。

「執拗な念」なのでそのままの意味ですね。

対して努力はこうです。

目標の実現のため、心身を労してつとめること。ほねをおること。

ほら、綺麗すぎるんです。

本当に何かに対して打ち込んだ人ならわかると思いますが、努めるなんて綺麗で格好いい言葉じゃなくて、「執着して離れない」「物事にとらわれた心」、こちらの方が明らかにしっくりきます。

本当に何かを達成するには、同時に苦しい思いも同時について回ります。

死んでもこれを達成したいともがく人間には「執念」が絶対に必要です。

「執念」があって心がとらわれているからこそ、何があっても諦めないし、泥をすすってでも達成しようとするんです。

頑張ることは決して綺麗事ではありません。それを表現する言葉にぴったりなのは「執念」だと思うんです。

 

▼「執念家」になりたい。

努力家っていう言葉はあるのに、執念家っていう言葉はないですよね。

その証拠に今この文章を書いていても「どりょくか」はすぐに変換できるのに「しゅうねんか」は変換ができません。

僕は「執念家」になりたい、なりたいというか言われたいと思っています。

僕の人生の大半はうまくいかないことの方が多くて頑張っても頑張っても報われないことばかりでした。

もがいている内に僕は「努力」っていう言葉では頑張ることを表現できないことに気がつきました。

僕自身、頑張ることは美しいことだと思っていたふしがあります。けれど本当に何かを達成する人は努力なんて生易しい言葉でどうこうできる範囲外で頑張っているんですよね。

だから僕は「努力」って言葉よりも「執念」 という言葉が好きだし、まわりからも「執念家」と呼ばれたいです。

 

▼まとめ

僕はずっともがき続けています。きっとこれからもうまくいかないことの方が多いし、苦しい思いをたくさんすると思います。

けれど「執念」という言葉を胸に、もがいてもがいて目標を達成したいと思っています。