【書評】「弱キャラ友崎くん」「新しい人よ眼ざめよ」の感想
▼「弱キャラ友崎くん」
弱キャラ友崎くん Lv.1【電子書籍】[ 屋久ユウキ ]
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イラストのタッチが好き。
かわいすぎないというか、なんというか。
で、内容は以前読んだ「絶対彼女つくらせるガール」みたいなハウトゥ的な内容。
リア充になるためにはこうするべき! みたいな感じ。
僕はこの最近のラノベに多いハウトゥ形式の話に疑問を感じていて、まず小説っていうのは主人公が何らかの出来事により、最初と比べて心情が変化するという形式が基本。
だから主人公が変わるための出来事っていうのがかなり大事になってきますが、ハウトゥ形式の場合、出来事の箇所がハウトゥに重きが置かれていて、もはやそれは物語とは言えない。
だからこの小説も、口角をあげるだなんだっていう説明を長々としているけど、まさにそれはハウトゥ本がするべき話であって小説ですることじゃない。
ハウトゥ箇所を最小限にとどめて、もっとストーリーに重きをおいてほしかった、というのが僕の所感。
ヤングジャンプで連載してる「源君物語」は同じような形式ながら比較的ハウトゥ色は薄い。
ただ、まぁ小説でやってしまうと説明臭くなってしまうのは仕方がないので、この形式には限界があると思う。
でも人気があるということは、こういう内容が求められているってことなのかなーと考えると小説本来の意味合いがわからなくなってきてしまう。
いやそれともこういう、何もかも指導してくれるヒロインに萌えるべきだったのか。
うーん、ちょっと難しい。
▼「新しい人よ眼ざめよ」大江健三郎
新しい人よ眼ざめよ (講談社文庫) [ 大江健三郎 ]
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大江健三郎の「新しい人よめざめよ」。
障がいを持つ子供が自分達親がいなくなっても生きていけるように「人生の定義集」を作るという壮大な設定。
人生の定義をまとめるってもはや聖書に匹敵することなので、とんでもないことをやろうとしている。
基本的な話は作者本人とおぼしき人が、ブレイクの詩を読みながら人生を問い、時には無垢な息子の何気ない言葉で気づかされたりもする場面が続く。
ワンシーンワンシーンは、タイトルの仰々しさとはうって変わって日常シーン。
構造的にはブレイクの詩を、あくまで日常的な生活の中に落とし込み、文学を理解する=人生を定義するみたいな構造にしていて、
日常的な生活だけではそこに普遍性は生まれないから、何年も前に書かれているブレイクの詩と現在を繋ぎ合わせることによって、定義としての普遍性を保とうとしている。
読み方が合っているかわからないけど、大体こんな感じだと思う。
中盤辺りから自分の作品への言及がはじまり、正直「レインツリー」も「同時代ゲーム」も「ピンチランナー調書」もまだ未読のため、過去作品の話はピンと来なかった。
そのせいで最後の方で散漫な印象を受けてあまり楽しめなかった。
ちょっとこれは過去作品が必読かもしれない。
ちなみにこの頃の大江健三郎の文体は明らかに「万延元年のフットボール」以前の作品とは異なっており、以前の文体の方が好きな僕としてはちょっとさみしい。
また自作への言及が始まるのもこのあたりからのようで、どちらかというと転換期にあたる作品のような気がする。
三田誠広がこの作品を世界文学としてすごいと言っていたが、さすがにそこまでではないような?