僕の頭の中の悪霊~作家志望の雑記ブログ~

小説家になりたい人の書評メインのブログ。小説の創作論や、漫画アニメのサブカル、箱根駅伝のことなども語ります。

最近の芥川賞受賞者があまりにぱっとしない。

どうも管理人です。

今回、 芥川賞を石井遊佳さんと若竹千佐子さんの両名が受賞したというニュースがありました。

どんな作品なのかなどの細かい話は割愛して、最近の文学賞受賞者について書いてみました。

 

▼あまりにぱっとしない。
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もうこの一言に尽きます。あまりにぱっとしないんです。

別にぱっとする必要もないのかもしれませんが、今回の両名が将来的に日本文学を担う人間になるとはとても思えない。

というのは、この二人が現段階で悪いわけじゃなくて、おそらくこれ以上の何かすごい作品を書くことはないんじゃないか?という点からです。

若竹さんとかもっと若い時にデビューしていれば別だったかもしれませんが、結局もうある程度の形にまで完成しちゃってる。

なんかすごいことしてくれそうだな!っていうのがないんですね。

それを安定と捉えれば良いことなのかもしれませんが、野心的なものをあまり感じられないのです。

 

▼それは格上の谷崎賞でもみてとれる。

芥川賞は文学の新人賞なので、格上の賞として谷崎潤一郎賞という賞があるのですが、この賞は本当に良い作家にしか与えられない、という印象の格式高い文学賞として知られています。

遠藤周作の「沈黙」、大江健三郎の「万延元年のフットボール」など、そうそうたる作品が受賞しており、あの開高健の「輝ける闇」ですら候補になりながら受賞できていないという事実。

中上健次も「枯木灘」「鳳仙花」「地の果て至上の時」「讃歌」「奇蹟」と、幾度となく候補になりましたが受賞には至りませんでした。

それだけ厳しい賞なのです。

しかし、そんな谷崎賞も最近は長嶋有とか、江國香織など、別に悪い作家ではないのですが、今までの受賞者を見ると「???」となってしまうような方が受賞してしまっています。

 

▼文学全体のレベルが明らかに下がっている。

もう文学全体のレベルが下がっているのは間違いありません。

それを訴えるかのようにボブ・ディランや、どちらかというとエンタメ寄り?のカズオイシグロノーベル文学賞を受賞しました。

時代は変わっている、それを象徴するような出来事ですね。

日本でも村上春樹よりも前の世代だと正直、誰が次世代を担えるの?というくらい誰もいません。

一時期話題になった阿部和重もほとんどもう聞かないし、中村文則とか若い世代もどことなくぱっとしません。

あまりにも小説以外のメディアが増えすぎた現代、もう小説はいらないのかもしれません。

 

▼まとめ

文学界の今後を見据えると、ちょっと絶望したくなりますが、この現代だからこそ書ける小説というのは、絶対にあるはずです。

小説というジャンルははるか昔から存在していた普遍的なもの。

今後文学界を変えるものすごい存在が出てくれば触発されて業界全体が盛り上がっていくのかもしれません。