東大生の箱根ランナー近藤秀一はなぜ早いのか?
どうも管理人です。
近藤秀一っていう、東大生が今度の箱根駅伝を学生連合で走りますね。
ちよっと前に松本翔っていう東大生も箱根を走っているんですが、東大生の出走はそれ以来になります。
まさに文武両道って感じなんですが、当然彼らには練習パートナーもいないし、そもそも練習できる環境が整ってません。本業の勉強も忙しいので、色々ハンディが多い中で箱根駅伝の出場を決めました。
ではなぜそんな彼らが高い競技レベルで走ることができるのでしょうか?
▼名門校の高校生に対する教え。
ちょっと話を変えて、駅伝で名門といわれる高校の指導で大体すべての高校に該当する指導方針をあげます。
まず、競技だけでなく私生活からしっかりする、という指導。
たとえば部屋をきれいにするとか、掃除はさぼらず自発的にやるとか、自分のことは自分でやる……あげるときりがありません。
当然この中には学生ですから授業もちゃんとうけるというのが入っています。
一見これ、全然走る上で関係ないと思うじゃないですか?はっきりいって高校時代の僕もそう思ってました。練習がんばればいいじゃんって。だから僕は寝てましたね、授業。
でも当然練習はがんばってましたよ、練習は。
でもそれじゃだめだったんですね。
なにがだめって、この授業をちゃんとうけるとか、掃除するとかって全部いわゆるめんどくさくて、嫌なことですよね?
だからよっぽど掃除好きとかなら別ですが、ある程度みんな我慢してやってるわけです。
特に朝早く起きて朝練をしている中での学校の授業。集中してうけるのは苦行なわけです。掃除にしてもクタクタに疲れてる中での掃除。まずやりたくないですよね?
名門学校の指導では全部こういうことは人任せにしないで自分でやるようにと指導します。
なぜなら長距離走は絶対にレース中、きつくて辛いタイミングがあるからです。
日常生活の中でそういう辛いことから逃げるようではレース中絶対に粘ることができません。
日頃から嫌なことから逃げてるんで当たり前です。レースの時だけ我慢できるなんて都合の良いことは起きません。
近藤秀一選手はまして東大に合格しているわけですから、誰よりも授業をしっかりと受けていたに違いありませんし、ここは想像ですが、きっと日常生活においてもしっかりしていたのは間違いありません。
名門佐久長聖高校で練習しながらですよ?
本人の気持ちの強さがわかります。
▼競技だけでなく、人として立派な人になれ。
「競技だけでなく、人として立派な人になれ」
足が早いだけじゃなくて、それ以外の部分でも周りからすごいね、と言ってもらえるような人になれ、ということです。
これもよく名門高校で言われることです。
なんでもしっかりやるって結構辛いことなんですよ。でも色んな人から見ても立派な人ってなんでもしっかりできる人ですよね?
つまり「立派な人」は辛いことから逃げずに何事もしっかりとやるので、当然レース中の辛い場面でも我慢ができて、良い走りができるわけです。
まさに近藤修一選手はそれを体現しています。
でもなにもこれ長距離選手だけじゃないとおもうんですよ。
社会人になってもこういう精神って大事だと思います。いますよね、嫌な仕事は人に押し付ける人。
そういう人より、嫌な仕事もきっちりやる人の方が仕事ができる人が多くないですか?
だから長距離走って社会人にも通じる精神を学べるスポーツだと思います。
▼自分で考えてやれるから早いんだ。
「自分で考えてやるから早いんだ」
かの中山竹通という名ランナーが足の早い国立大生たちをさしてこんなことを言ったそうです。
練習をすべて、これはこういう意味があるから今日はこの練習をするんだ、という具合に自分の意思で考えて取り組んでいるということです。
そう、何事もしっかりしてるだけあって、ひとつひとつ、自分で意味を考えて、行動することができるんです。
何事もしっかりやるっていうのは結局、ひとつひとつの行動になんの意味があるのか?そういったことを考えながらやることになります。
たとえば掃除ひとつを取っても、なぜエアコンのフィルターを洗わなきゃいけないのか?→ほこりまみれのままだと不衛生でウィルスが蔓延しやすくなる→じゃあ競技にとってマイナスだな、綺麗にしよう。ということになるわけです。
こういった考えて行うという能力を伸ばす意味でも、名門高校の指導は大事だと言えるでしょう。
ビジネスの場面に置きかえると、ただ指示を待つ人と、自分で考えながら仕事が進められる人の差、といえばわかりやすいでしょうか?
どちらの成長速度が上かは言うまでもありません。
▼だから近藤秀一選手は早い。
近藤秀一選手が早い理由、お分かりいただけたでしょうか?
競技力だけでなく、人としての能力が高い。それが早さの理由です。
それはすべて近藤秀一選手の努力の証です。
こういった姿勢をわれわれ競技者ではない人間も模倣していくべきなのかもしれません。
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