どうして小説は売れなくなったのか?文学は死んだ?
どうも管理人です。
出版不況が囁かれてますよね。今後も悪くなることはあっても良くなることはないだろうって。
特に純文学なんて今本当に売れていないと思います。
▼ちょっと前の文豪たち
僕の実家の話なんですけど、とりあえず三島由紀夫と川端康成、太宰治や芥川龍之介の文庫があります。
別に僕の両親は特別本を読む人ではありません。この本も実際本当に読んだのかどうかすら怪しいものがあります。
けれども両親いわくかつてはこれが当たり前だったようです。
超有名な作家の小説はとりあえず買っとくか、という軽いノリで各家庭に一冊はあったみたいです。その時代に王様のブランチとか放送してたら間違いなく書籍コーナーで紹介されていたようなレベルです。
つまり、誰もが最近で言う『君のすい臓を食べたい』的なノリで文学を買い求めていたのです。
▼しかし、現代ではどうか?
では現代ではどうでしょうか?
そもそも川端康成の名前を知らない人すらいます。日本が誇るノーベル文学賞作家のことを認知していない人がたくさんいる。大江健三郎さんにしてもそうです。ノーベル文学賞をとっても忘れられてしまうのが現代の現実です。
ちなみに僕は谷崎潤一郎を知っている人に出会ったことがありません。どっちかっていうと、今読んでも読みやすい作家だと思うんですがね。
▼他のメディアが乱立しすぎている。
僕が思うに人が本格的に本を読まなくなったのは携帯電話が本格的に普及されてきてからのような気がします。
それまでパソコンでしか見れなかったインターネットが携帯電話やタブレットですいすい見れる時代。むしろもうパソコンでインターネットを見ている人よりも携帯電話で閲覧している人の方が多いんじゃないでしょうか?
インターネットってすごいんですよ、情報量が。ちょっと検索しただけで、目的のものに関連するサイトがザクザク出てくる。
Wikipediaとか本当にすごいですよね。
ほぼすべての言葉を網羅してて、かつ無料。あんな知識の宝庫は他にはないでしょう。もし仮にゲーテとか、ディドロなんかが生きていたら仰天していたでしょうね。
そんな環境だから小説を見る必要なんて、必然的になくなっていきますよね?カクヨムとか小説になろう、なんていう小説投稿サイトはある意味こういった環境に順応するために作られたといっても過言ではありませんが、紙媒体は余計に肩身が狭くなっていっている気がします。
▼環境のせいだけではない
でもね、環境のせいだけではないと思うんですよ。本が読まれなくなった原因のひとつに読むに値する人が少なくなったというのもあるのではないでしょうか?
たとえば100年遡れば、100年間にいろんな文豪の名前がばんばん浮かびますよね?
でも現代ってだれかいますか?今いる人である程度名前が残っていくのは村上春樹くらいじゃないでしょうか?
ちょっと前まで阿部和重とか平野啓一郎が騒がれていましたが、今彼らがなにを発表してるかすらわかりません。そのくらい作家自体の質も下がっていると思います。
▼良い小説であれば絶対に売れる
現代の環境は小説に撮って、逆風とも言えますが、意外とそうでもない部分もあります。
たとえば現代はメディアが大々的に押せばベストセラーにすることができる時代です。これはテレビとか携帯の普及がもたらした功績ともいえるでしょう。
メディアが大々的に押して売れたけど、内容が伴っていないものに関しては『ワロスw』みたいな感じで嘲笑されますが、人々が良いと思う感覚は今も昔も変わらないと思います。
物語で人が感動するのは古来なら続く伝統。
良い小説であれば絶対に多くの人の気持ちを動かせるし、それが結果的に売れるのだと思います。